今世の中的にはコミュニケーションの方法というものが乱立していて、どこか散発してる状況です。
それぞれの方法は、結構狭い範囲で設計されてるようにも思います。例えば、インスタであればインスタという世界の中。ツXであればXでの世界の中。
そういった世界観でコミュニケーションがある意味閉じているのですが、それがソーシャルだと言えば、、「・・うん」と言いたくなります。
しかし、ほんの瞬間でもいいので、「インターネット」とか「コミュニケーション」という視座で見てみたときに、それぞれのソーシャル(社会)が小さいものであるように感じることがあります。
僕らが設計しているのがコミュニケーションであるならば、それらの小さなソーシャルは、部分でしかないわけです。それを繋げていくことが視座の高い企画であるように思います。
それぞれのソーシャルの中で展開されるコミュニケーションのパーツを「コンテンツ」だと考えると、僕らはその「コンテンツ」をどこに置くかを勝手にソーシャルによって決められてるようにも思います。
ところが、その「コンテンツ」を解き放ってみると、他のソーシャルでも使えそうに見えてきます。いや、使えるのがわかってくるのです。
結局、肩までどっぷり使ってしまっているが故に、本来解き放っていいはずのコンテンツに縛りを勝手に設けて、利活用ができていないということがあるんじゃないでしょうか?
利活用視点を持てば、余計なコストをかけることもないかもしれません。
コミュニケーション視点で、手持ちのコンテンツを見てみるとそのコンテンツはもっともっと使えるものになる可能性があります。
そんなふうに思うのです。